2024年11月28日
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新春お茶会での席争い

先日お友達に誘われて、「新春お茶会」にでかけました。

公共のスペースで開催される誰でも参加できる気楽なものだから、ということでした。

お茶のこころえはほとんどなく、若いころ茶道入門的な素人向けの手ほどきをうけた程度で、その記憶もはるかかかなたです。

けれど、お茶を長くやっている友人と一緒なこともあって気楽な気持ちででかけたのが間違いのもとでした。

誰でも参加できる気楽なお茶会ということでしたが、会場につくと、ひとめでお茶をやっている、というかたがたくさんいました。

しかし、ここでも私はのんきでした。

これだけ経験者がいるのだから、私は気楽にお菓子とお茶を見よう見まねでいただけばいいだけ。

友人にお茶をいただくときはこうでいいのよね、なんて確認しながらお部屋に上がると、

正客といわれる席とそのとなりだけがぽっかりとあいていて、他の席はすべてうまっているのです。

素人の私にも、「正客」の席が重要なのはわかります。

実は過去にうっかりその席に座りそうな順番でまっていて、親切な方がさりげなく席を変わってくださり、たすかったことがあるのです。

正客とその隣の席しか空いていないので、友人は、着物をお召しになっている方を見つけて、どうぞどうぞあちらに、と交渉してくれています。着物をお召しになったマダムはかたくなに拒み続けています。

事前に正客の席に座るのは男性の方に話がついている、ときいていたので、まさかそんなもめごとがおこるとは思いもしなかったのですが、かなりの時間そうやってもめていましたら、他の場所におすわりになっていた年配のご婦人がやっと

立ち上がって正客の席におすわりになりました。お茶の先生をされている方のようでした。

ぼんやりしてもたもたしていた私は、残った正客の隣の席に「さあさあ」と押し込まれるように座らされてしまいました。

正客ではないとはいえ、隣の席も重要な席です。

私は、ほんとうに困ってしまったのですが、誰も代わってくれないのです。しかしこれ以上席でもめてお茶会がはじまらないというのも、周りにも迷惑なことだと思い覚悟をきめて座りました。近くにはお着物を着た方もいましたし、会話から察するにみなさん、お茶を習っている方ばかりです。ほんとうなら、そういう方が座ってくださればよかったのですが。正客を頼まれてたらしい男性は、知らん顔でしたし。

見捨てられたような、情けないような、席とりゲームに負けて、さらし者になったような気分でした。

もう、仕方ない、美味しいお菓子とお茶をいただいて、楽しんで帰ろう、と気持ちを切り替えるのですが、隣の正客のかたが、いろいろ指導してくださいます。

私が恥をかかないように、という気遣いもあったとは思うのですが、、、、。

「これはすごい器なのですよ。よくごらんなさいね。なかなかみられないわよ」

「この席はね、いい器がくるのよ。とっても重要な席なのよ」

私は

「まあどうしましょう。私なんかが座ってしまって、、、、」

と恐縮するしかありませんでした。

今でも座るべきではなったと後悔しています。

あとでネットで調べたら、お茶会の席でもめるのはよくあることだそうです。

もめないようにするのが、主催者のつとめなのではないかしら。

「お茶」「茶道」がいっきに遠いものになりました。

お着物をきていたマダムは、格上の先生?がいらしていたので、おそらく座るのを遠慮されたのだと思います。

それにしてもその隣の席に座っていただくことはできたのではないでしょうか。へそを曲げてしまわれたのでしょうか。

PTAの役員決めのような光景が繰り広げられる、新春お茶会。

詫びさびとか優雅とは程遠いものでした。重要な席を遠慮する、というのも「お約束」?らしいのですが、わけわからん、です、まったく。

なんだか新年のおめでたいムードがふっとんでしまった出来事でした。

ただ、本来「茶道」というものはそんなおかしな席取り争いに終始するようなバカげた「道」ではないように思います。

これだけ長きにわたって伝えられてきた伝統的な「道」にはきっとすばらしいことがたくさんあるはずです。

「お茶」のすばらしさを伝えたい広めたいと思うなら、素人も参加する大寄せのお茶会がよい機会となるはずなのに、、、、と残念でなりません。

一期一会というのはお茶の言葉だったのではないかしら?

参加した人が、日本の良い文化に触れたと思えるようなそんなお茶の席をつくれたら、その流派はきっと発展していくと思います。

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