こどものころは宮沢賢治の作品を「語り」や「劇」できいたり見たりすることの方が多かったです。
風の又三郎は、父が寝る時に「語って」くれたのですが、自分が途中で寝てしまうため、導入部と「どっどどどどう」のフレーズだけが耳にのこっていているくらいでした。なので、中学生になって自分で読むまではどんな話かわからないままでした。
小学3年生の時、「祭りの晩」のお話が、授業の教材(プリント)として配られました。なんとなくしっている「宮沢賢治」という人の作品をきちんとよんだのは、おそらくこれが初めてだったと思います。
少年亮二は秋祭りにでかけます。
見世物小屋で風変わりな男と出会います。
そのあと、団子屋で代金を払えず責め立てられている男をみて、自分のお小遣いを男の足の上にそっと置いてたすけてあげるのでした。
男は、「薪を百把後で返すぞ。栗を八斗後で返すぞ。」 といって立ち去ります。
家に帰り、その話をするとおじいさんが、それは山男だろう、と言います。
そのとき、大きな音がして、亮二の家の前には
薪と栗とが山のようにおいてありました。
山男がお礼にもってきたのです。だんごやではなく亮二に!
たくさんの薪と栗を受け取った亮二とおじいさんは、山男の喜ぶものを山へもって行ってあげようと相談するのでした。
「山男が嬉しがって泣いてぐるぐるはねまわって、それからからだが天に飛んでしまう位いいもの」を。
当時の私と主人公と同年齢くらいだったことと、祭りの情景がリアルで、引き込まれていきました。
そうしてここでも、賢治や虔十を彷彿させる、善良な「山男」が登場するのです。
ドキドキしたりハラハラしたり、腹がたったり、悲しくなったり、そして最後にスカッとする物語です。
山男は宮沢賢治の作品にたびたび登場しますが、もしかしたら、このような異界の人が祭りなどの時に、紛れ込んでくるのはよくあったことなのかもしれません。
宮沢賢治は、みえないものがみえたであろうという話をどこかできいたことがあります。賢治もどこかで出会っていたのでしょうか?
祭りをたのしみにやってきた山男。見世物小屋でお金を使いきってしまい、団子屋で代金がはらえなくなって、いじめられて泣いてしまう山男。
弱い物には容赦にない町のない男たち。
亮二が惜しみなく、自分の白銅貨を山男に与えた時、山男はどんなにうれしかったことでしょう。
そして、亮二とおじいさんからの贈り物を見つけたら、どんなに喜ぶことでしょう。
想像すると、私もなんだか、うれしくて泣きたくなるような気持ちになりました。
私の子どものころも、お祭りになると見世物小屋のようなものがきて、うそかほんとかわからないようなものを見せられたものです。お祭りの時にもらうおこずかいをにぎりしめて、昼間ならこどもたちだけで繰り出したものでした。
祭りの日は3日間あり、私のいた学校は「半ドン」になりました。
山車(だし)をだす街の中心地区の子は、祭りに参加するために早く帰って支度をするのです。
小学生の女の子は帰宅すると簡単に昼食をすませ、美容院に行って、おしろいを塗ってメイクをします。小学生の間でも、どこの美容院はアイラインの入れ方がどうだとか紅のさし方はどうだとか、けっこううるさかったです。美容師さんに、「こうしてちょうだい」なんて注文を出す子がいて、それが流行ったりもしました。
「顔」をつくると、家に帰って晴着をきせてもらい、太鼓をたたくバチをもって、集合場所へいきます。
着物に袴、草履、白い羽のような上着を羽織り、金の冠をかぶるのです。
着物を着ると、気持ちがひきしまりました。
そして1日中、山車をひいて太鼓をたたきながら練り歩くのです。
女子は山車、男子は神輿ときまっていました。
「まつりばか」といって、祭りを盛大におこなう土地でした。
子どものころはなにもわからずに参加するだけでしたが、あれは神様に奉納する「神事」だったのだなあ、と思います。
今住んでいるところは自治会の役員の当番が回ってきた時でないと祭りにかかわることはありません。
山車も質素で、子どもたちも晴着を着たりはしません。
でも、笛や太鼓の音をきくと子ども時代を思い出し懐かしい気持ちになります。
祭りの晩
宮沢賢治
「新編風の又三郎」収録 新潮社