2024年11月28日
  • 親子で楽しむおすすめ絵本

宮沢賢治 土神ときつね

「土神ときつね」は、ひりひりするような読後感があります。

 

野原の北のはずれにある、一本のきれいな女の樺の木には「土神」と「きつね」二人の友人がいました。

土神は、神とは言え、供物もあつまらない、身なりもぼろぼろです。

狐に嫉妬してこころおだやかではありません。

きつねは博識でとてもおしゃれ。土神に対抗心をもっているようです。

あるとき、きつねと居合わせた土神は、狐への嫉妬と怒りを抑えられなくなり、耳をふさいでかけだします。

そして大声で泣きころげまわるのでした。

秋になり、穏やかな気持ちになった土神は、樺の木に「いまなら誰のためにも命をやれる」とまで言いました。

きつねにまで

「いい天気だ。な。」

と明るく言うのでした。

するときつねは、、、、、、。

 

賢治の作品を読むと、美しいものに触れて、自分が清められたような気持ちがします。

しかし、この「土神ときつね」は、本を閉じて、見なかったことにしてしまいたいような物語です。それでも、また手に取ってしまうそんな物語なのです。

 

博識なきつねは、農学校の教師でもあった賢治を連想させます。

文学や芸術にも詳しく、当時としては相当「インテリ」であった宮沢賢治。

そんな自分を、自虐的に描いているようにも思えます。

そして、土神の無骨さ、激しさも賢治と通ずるものがあるのかもしれません。

 

神であっても、完ぺきではない土神。

身なりがきちんとしていて、知識も豊富なのに、実はうそで固められていたきつね。

その「うそ」を見抜けない、樺の木と土神。

 

これを恋愛の話とみるならば、樺の木の気持ちはわかるような気がします。

特に、地面に根を下ろしている(自由に動けないと思われる)樺の木にとって、星の話や音楽の話をしてくれ、ハイネの詩集をかしてくれる、親切なきつねのほうが話していて楽しいでしょう。

それが、「うそ」だったとしても。

樺の木にとって、きつねは「あたらしい情報」に触れ、夢をみさせてくれる、好ましい存在だったにちがいありません。

そして、きつねは樺の木をよろこばせたい一心で、うそを重ねていってしまいます。

 

きつねは見栄っ張りで嘘つきですが、「樺の木」への気遣いはありました。

 

それに対して、「土神」は自分の言いたいことを一方的に話し「樺の木」がどう感じるかということにはまるで無頓着のようです。

「神」であるのに、むしゃくしゃして樵(きこり)をいじめてしまうような土神です。

「神」であり尊敬されるべき自分が「畜生のきつね」よりも劣っていると感じる「土神」。

嫉妬と怒りが抑えられなくなった「土神」。

 

もし、「土神」が「狐」の本当の姿を知っていたら、最後の悲劇はおこらなかったでしょうか。

 

どうなんでしょう、、、、,。.

しかし、それでも、「樺の木」がそれでも「きつね」のほうを好きだったら、同じ結末をむかえたのではないでしょうか。

 

 

私の中にも、土神ときつねがいると思います。

 

嫉妬したり、卑屈になったり、誰かと張り合ったり、、、、。

つまらないことで見栄をはったり、、、、。感情が抑えられなくなったり、、、、。

 

 

賢治作品の中では、重く感じる作品です。

 

 

子供向きではないかもしれません。

 

中学生以上におすすめです。

 

土神ときつね

宮沢賢治

「注文の多い料理店」収録 新潮文庫

 

※絵本でも出版されているようですが、読んでないので、新潮文庫の物を紹介します。

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