私がこどものころ、50年ほど前の田舎の町では、小学校のそばの公立の幼稚園に入学前に1年間通うのが一般的でした。
今では3年保育の幼稚園というのが一般的になっているのでしょう。
わたしも、幼馴染みのN子ちゃんとそこに行くものだと思っていたのですが、できてまもない私立の幼稚園に2年保育でいくことになりました。
3年保育の幼稚園で、年少から通う少数の子もいましたが、半分以上は年中(2年保育)入園が多かったです。
田舎の町では画期的な幼稚園の出現です。
2つ上の姉が、開園と同時に年中組に入園しました。
母も公立の幼稚園に入園させるつもりでいたらしいのですが、祖母が付き合いで孫の入園を約束してしまったから、仕方なく、ということでした。
新設の幼稚園だったので、生徒の勧誘に幼稚園側も必死だったようです。
私立の幼稚園に渋々姉を入れた母でしたが、育児がずいぶん楽になったと感じたのか、私の年中からの入園も自動的にきまってしまいました。
私は幼馴染みのN子ちゃんとわかれて別の世界に行くのが不安でした。
幼稚園バスがもどってくるとN子ちゃんがむかえにきてくれていることもありました。いっしょに来年同じ幼稚園にいくはずだったのに、、、、。
裏切ってしまったようで申し訳ないような気持ちでした。
親の都合ではいった幼稚園は、あまり楽しくありませんでした。
なにしろ、田舎町初の私立の3年保育幼稚園です。
町中のお金もちのお子さんが大集合です。医者の子が一番多かったように思います。あとは大きな商店や会社経営者のこども。
また、そのお子さんたちのわがままがぶりがはんぱなく、年少から進級組はとにかくいばっています。
子ども心に、「この子達は遠慮というものをしらないのかなあ」、と思ったものです。
年中からの途中入園組には、若干わたしのような庶民もおりましたが、後々「あの幼稚園怖かったね」と語り合うこともありました。
買ったばかりの飾りのついたピン留めを、「女番長」とよばれていた女の子に没収されて
「このことは誰にもいってはいけないよ」といわれたこともありました。
幼稚園の子たちの大半とは、高校で再会することになるのですが、ピン留めを取った「女番長」は別の高校へ行ってくれたので安堵しました。
教育方針は、今思うとなかなか豊かな充実したものでした。
特に、からだを動かすこと、楽器演奏などに力をいれていました。ピアニカ・アコーディオン・太鼓などの打楽器などいろんな楽器を演奏できたのは楽しかったです。
登り棒などもありましたし、大きめの洗面器大で円盤を半分にしたようなものにセメントのようなものがつまっていたのに乗って遊ぶ「バランス」と呼んでいた遊具もありました。あれは面白かったなあ~。
「バランス」は他所でもあるのかなあ?一般的なものなのか幼稚園独自の物なのか?
幼稚園時代にいまでいう「カースト」というものを経験していた私は、小学校に入って、とても自由な晴れ晴れした気持ちになったのを覚えています。
小学校は公立幼稚園組が大半でしたので、がらっと雰囲気もかわりました。
娘の入園を考えるようになったときに「お上品な幼稚園・教育熱心な幼稚園は嫌だな~」というのがありました。
結局「自由でのびのび」をかかげたどろんこ保育の保育園にきめたのは、私の幼稚園時代の反動があったのかもしれません。
ただし、「自由でのびのび」な保育園がほんとうに「自由」だったかというとそうではなかったです。
そこにはそこの「ルール」がたくさんありました。