9年前
2011年3月11日。
晴れた気持ちのいい日でした。その時、私は自宅から30キロほど離れた町で仕事中でした。
今までに体験したことのない大きな揺れの後、いったん建物の外に避難しました。おさまったように思い、職場に戻るとまた余震。備品もおちできて、ぐちゃぐちゃの状態でした。ひとまず今日は閉めて帰ろうということになり、同僚に駅まで車で送ってもらいました。
駅も混乱状態。駅までくればどうにかなると思っていたが、3時間ほど改札の外で待たされのち、「電車は動きません。ホームに停車中の電車は解放するので乗って休んで結構です」とのアナウンス。
携帯はつながらず、メールだけ家族に送信してあったが、届いたのかどうかもわからない。
電車なら30分。車で1時間の距離。歩いては到底無理。
いつも利用する駅の1階のコンビニに行くと早々としまっていました。
はす向かいのコンビニは明かりがついている!
コンビニで電池式の携帯充電器とカップラーメンと菓子パンを購入しました。
迷っているとどんどん手が伸びて消えていきます。
職場に戻るしかないと思い歩きだすと、前から気になっていたタイ料理のお店が開いているので、中に入ってみました。
店主は閉めようか開けようか迷ったけど、近所のお店が営業始めたので、うちもやることにした、といっていました。そこで何だったか忘れたけどからいタイ料理を食べて職場へと戻りました。
職場にもどり、エアコンをつけお湯をわかしました、
崩れ落ちたものを整理しましたが、まだ寒い時期でしたので、ある程度のところであきらめました。朝になれば、誰か来るだろう、明るくなってからみんなで片づけようと思いました。
電話が通じず、子どもたちは、夫は、と思いましたが、何とかなるだろう、何とかしているに違いない、と信じるしかありませんでした。長女は中学3年生。高校受験が終わり合格発表がおわったばかり。長男は小学5年生でした。夫はそう遠くないところに職場があったので、夫が動いてくれているはず。
震源は東北らしい、津波があったらしい、なにがどうなっているんだろう。
テレビ・ラジオが職場にはなかったので詳しいことがわかりませんでした。
関東でも電車がとまるほどのことがおこっている。
明日になれば、いろいろなことがわかってくるだろう、今はじたばたしてもしょうがない、、、、。
夜10時半ころだったか、やっと携帯がつながるようになり、夫が子どもたちと車で迎えに来てくれていることがわかりました。
また地震が起こる可能性も考えると、子どもを置いては来れなかったようでした。
迎えに来た車で、自宅まで戻りましたが、国道は真っ暗で怖かったです。
途中、電車が止まったせいでなのか、国道を歩いている人もいました。
自宅近くのコンビニは、もうすでに商品棚がガラガラでした。
それでも、まだ直後はみんなのんきでした。
翌12日の小学校の資源回収は予定通り行われました。
自宅近辺は、被害もなく、私が職場で感じたような恐怖感はなかったようでした。
しばらくして、ガソリンがない、商品がない、と右往左往するようになりました。商品はすぐに平常通りになりましたが、ガソリン不足は永く続きました。
ガソリンは実際には不足していなかったらしいですが、不安から殺到する人が多かったために不足したのでした。
今思うと、関東にいる私たちは、すこし不便なことがあった、という程度でした。
しかし、東北では津波で多くの命が奪われ、原発の影響でたくさんの人の人生がかわってしまった、本当に歴史的な出来事だったのです。
その晩ニュースの映像をみながら、ポットに熱いお湯をつめて届けたい、今暖かいものを飲ませてあげたい、どこでもドアがあれば!と思いました。
東北の親戚は、避難して無事だったけれど、家は流されました。
こどものころ、夏休みに遊びに行った海水浴場は今はなくなってしまった(地形的に?)というニュースを見た時はショックでした。
最近、特集番組などで東北が取り上げられますが、ああまだ復興は終わっていないんだな、と思います。
今、日本は、日本だけでなく世界中、コロナで大変ですが、こんなときにまた地震でも来たら、、、、と不安になります。
ただでさえ、マスクがない、トイレットペーパーがない異常な状況です。
トイレットペーパー買い占めには批判的な立場でしたが、だんだん在庫が心もとなくなったので買いに行くと「本当にない」んですね。
メーカーも在庫は充分にある、と言い切っているのに、なんでないの?
9年前のガソリン騒動と同じなのね、、、、。でもないとほんとに困る。トイレットペーパー。
どうかはやく世の中が落ち着きますように。